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フィリピンで永住権のビザを取得、移住している女性視点のブログです。
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フィリピンに天皇皇后両陛下がいらっしゃいました。
個人的な知り合いもEmperorと握手したということで、その前から準備や興奮の声を聞き、私も自分の事のように盛り上がっていました!
この時期に来られてよかったと思います。
この度,天皇皇后両陛下におかれましては,フィリピンを国賓として御訪問なさることになりました。
我が国は,フィリピンとの間で長年にわたる緊密な友好関係を有しております。フィリピンからは,かねてより両陛下に対して御訪問の招請が寄せられてきており,本年六月に国賓として訪日されたアキノ大統領からも,改めて両陛下御訪問の招請が寄せられておりました。来年は,両国の国交正常化六十周年の記念すべき年に当たり,近年はますます幅広い分野において関係を進展させております。
今回の御訪問により,両国の従来からの親密な友好親善関係が一層深まるものと確信しており,国民各位と共に喜びに堪えません。
両陛下には,御日程をつつがなくお過ごしの上,御帰国になりますよう,心からお祈り申し上げます。(外務省)
天皇皇后両陛下は,去る一月二十六日から五日間にわたり,フィリピンを御訪問になり,三十日,つつがなく御帰国になりました。この間,アキノ大統領ほかフィリピン要人から心温まる歓迎をお受けになり,フィリピン国民と親しく接し,心を通わせる多くの機会をお持ちになりました。また,戦争により亡くなられた人々を慰霊し,平和を祈念されました。
本年は,我が国とフィリピンとの国交正常化六十周年にあたり,今回の御訪問により,両国の友好親善関係の増進に多大な成果を上げられましたことは,誠に喜びに堪えない次第であります。
今回の御訪問を契機に,今後我が国とフィリピンとの間の友好親善関係が一層発展することを期待しております。
2016年02月02日 05時00分
天皇、皇后両陛下が54年ぶり、フィリピンを公式訪問された。歴代天皇としての訪問は初めてで、友好親善とともに太平洋戦争で犠牲となった双方の戦没者の慰霊を兼ねた旅である。
両国国交正常化60年記念に際しての訪問は、両陛下にとって皇太子の時以来2度目となった。戦後60年のサイパン、戦後70年のパラオに続く3回目の「慰霊の旅」として、特別な日程が組み込まれたのも特徴である。
先の大戦で日本は首都マニラを占領。米国との攻防で兵士や民間人を含め日本人約51万8千人が死亡し、海外の戦地で最大の被害が生じた。フィリピン側も占領に抵抗するゲリラ戦や、日米の戦闘に巻き込まれて約110万人が犠牲になったとされる。
今回の訪問中、両陛下はフィリピン側の「無名戦士の墓」へ花を手向け、日本政府が立てた「比島戦没者の碑」にも拝礼された。国籍や民族に関係なく、全ての戦没者を慰霊したいとする陛下の意向を踏まえた対応で、友好親善を目的にした外国訪問では異例のことという。
フィリピンの戦争について大まかな知識は持っていても、平和の中で育った戦後世代には、遠い歴史でしかないのが実情だ。今回のご訪問に伴うニュースで、戦争の傷跡を初めて知らされたとしてもやむを得ないことだろう。
両陛下の慰霊に立ち会った日本人遺族には、3歳の時に父親が出征した様子をかすかに覚えている男性、プロ野球選手だった父親がフィリピンで戦死した女性、戦地から生還したものの、死んだ戦友に対する申しわけなさをずっと抱えてきた男性などがいた。
フィリピン住民への宣伝工作を担った元陸軍将校(99)は、リパという都市で日本軍に協力的だった市長一家がゲリラに公開処刑され、幼子も無残に殺されたと聞かされており、「日本軍は多大の迷惑をかけた。おわびのしようもない」と話していた。
現地で戦闘を経験した92歳の男性は「罪の意識を抱え続けた。その代わりに両陛下がフィリピンを訪れてくれたように感じていた」と振り返っていた。そうした人たちにとって「慰霊の旅」の持つ意義は、今なお重い。
特に感銘したのは、戦後に大統領を務めた故エルピディオ・キリノ氏の逸話である。日本軍に妻や娘を殺された遺族の一人であったにも関わらず、葛藤の末、日本人戦犯全員の恩赦を決断し、その3年後に国交正常化へ向かわせるきっかけをつくった。
天皇陛下はレセプションに出席したキリノ氏の孫と言葉を交わし、「おじいさんは日本人にとって特別な存在です。決して忘れはしません」と述べられたという。両陛下は先の大戦に関し、「決して忘れてならない」ということを繰り返し強調されている。
国交回復を果たしてから、日本とフィリピンは良好な関係を築きつつある。ただ、その陰には決して忘れ去られることもない戦禍があることを、肝に銘じておかなければならないだろう。
それは戦争を知らない世代にとってかなり難しいことだが、今回のご訪問によって、未来志向の関係を築くために何が必要かを示された気がする。その意義を大事にしたい。(宇都宮忠)